● 鹿かつらと地蔵堂 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 今からおよそ500年ほど前、大野に鈴木喜三郎という人がいてこの地方を支配していた。
 喜三郎は大変猟が好きで、ある日裏山へ猟に出掛けた。すると珍しいことに、頭が真白な大鹿を射止めた。よく見ると頭にかつらのような白い毛をかぶり、王者の貫禄を備えていたので、その地に地蔵堂を建てて供養してやった。
 ほかの説もある。喜三郎が猟に出掛けたところ、この裏山一帯を構成しているロウ石の中から、幾つかの鹿の死体を発見した。この鹿たちは、天災地変があったときの山崩れでロウ石の中へ埋もれたものと思われた。喜三郎は鹿どもを哀れに思い、その近くに地蔵堂を建ててねんごろに供養してやった。
 また次のような話もある。ある日村人たちが、白いかつらをかぶった大鹿を見付け、捕えようとしたが、どうしても捕えることができず鹿は峠を越えて逃げてしまった。いくら迫っても果てしがないぞということで、それから後この峠を「はてなし峠」と呼ぶようになり、これが縮まって「はだなし」という名が残された。

鳳来町誌民族資料編(南設楽郡鳳来町発行)より引用


鹿かつら地蔵堂

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