● 古戸崩(ごうどなぎ) 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 今から500年くらいむかしのことです。 大和田の慶雲寺には住職がいませんでした。 ある日、どこからかひとりの修験僧が大和田村にやってきました。 慶雲寺におまいりをすませたあとのことです。 村の役人の家にいき、「立派なお寺がありながら、お坊様が住んでいないのでは、御先祖様の霊をおまつりすることもできない。 御先祖様に申し訳ないことでもあるし、自分がかわって留守番僧をやらせてもらえまいか。」
とたのみました。
「それも そうだのう。」
と村役人は、うなずきながら承知してくれました。
 修験僧がきてからは、いつも窓があけられ、朝夕にはお経や木魚の音が聞こえてくるようになり、境内もさっぱりとはき清められて、慶雲寺も活気づいてきました。
「いい留守番の坊様がきてくれたもんだ。」
「ほんに 慶雲寺も、これで、ひと安心だ。」
と、村人たちは互いに喜んでおりました。 ところが、そのうち寺の大事な器やつぼが、ひとつ、ふたつとなくなっていきました。
「おかしいこともあるもんだな 寺の宝がへってきたみたいだぞ。」
 村の人たちが首をかしげていたころです。
 慶雲寺にあったかけじくが、町の金もちの家にかけてあるのをみたという人があらわれ大きわざとなりました。
 「坊様が、売ったにちがいない。 えらいことしてくれたもんだ。 身元のわからんような人を留守番にするもんじゃぁなかった。」
 「寺の宝に手を出すような者は、おい出せ!。」
 村人たちはたいそうおこって、修験僧に村から出ていってもらうことにしました。
 「ばかものめが、わしが、みんなの御先祖様のおまつりをやってあげているのに、おい出しにかかるとは、恩知らずめ。」
と、僧はかんかんにおこりました。 村人たちは、
 「出ていけ。」
の一点張りです。
 「わしのうらみで、この村を川原にしてしまい、ぶっつぶしてやるぞ。 みておれ!。」
 憎は、大声でののしリ、どしどしと大またに歩きながら慶雲寺をあとにしました。
 しばらくすると、古戸の山の頂上近くに小屋がたちました。
 「ほい。 あれはなんだん。 へんな小屋がたちはじめたのん。」
 「なんでも慶雲寺をおい出された坊様がたてたという話だがのん。」
 「なにをするつもりだろうかのう。」
 村の人々は、不思議に思い、山を見上げていました。
 修験僧は、小屋にこもって、21日間の断食をはじめていたのです。 大和田村を呪う願をかけていたのでしょうか。 毎日のように雨がふりつづき、川の水かさもぐんとましてきました。 ところが、ある日、急に、今までごうごうとうずまいて流れていた川の水がぴたりととまってしまいました。 水のひいた川原には魚が、ぴんぴんとはねまわっています。
子どもたちは、喜んで川に入り、手づかみで魚をとっています。 このようすをだまってじっと見ていた大和田村の名主、庄兵衛は、
 「これはなにか変わったことが、上流でおきたにちがいない。 いってみてくる。」
といいおき、栗毛の馬にひらりと乗ると、弓木の方へ向かってかけていきました。 半道(2Km) ほど上流にいったときです。
「ああーツ、これは なんということだ。」
 庄兵衛は、まっ青になりました。 柳沢の洞で、土砂くずれがおき、道も川もすっかりふさがれていたのです。 ふさがれた川の上は、ダムのように水がたまり、まさにあふれ出ようとしていたのです。 庄兵衛はすぐさまひき返し、家々へ大声でどなりました。
「大水がくるぞ 早くにげろッ!。」
「川があふれてくるぞ すぐにげろッ!。」
 ありったけの声でさけびつづけました。 村の人々は、着の身着のままで家をとび出し、裏山へとのがれました。 そのとたん 『グワァッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドゥ』 おそろしい音とともに、みたこともない大水がおしよせ、大和田村をのみこんでしまいました。 そのあまりのすごさに、村の人々はどうするすべもなくガタガタとふるえているばかりでした。
 洪水がひいたあとは、流れてきた大木や、岩石が累累とよこたわり荒地のような村となってしまいました。
「おいだした坊様の呪いで、こんなになったのかもしれんぞ。」
「いいや、偶然に、雨が降りつづき、山がくずれたにちがいないぞ。」
 村の人々は、古戸の山を見上げながら、ためいきをつくのでした。 いずれにしても川の流れはかわリ、大和田村の現在の田畑や家屋はそれ以後に復旧されたものばかりだそうです。 この大災害は、いつしか古戸崩とよばれ、かたりつがれています。
つくでの昔ばなし(作手村文化協会)より引用 


慶雲寺

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