● 稲木の観音様 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 稲木の長全寺は、弘法大師によって建てられたといわれる由緒あるお寺です。その後何度かの転地をへて今のところへ移りました。赤く大きな山門と立派な鐘楼があって、まるで奈良か京都にでもあるようなりつばなものでした。
 その境内に観音堂がありますが、その中には十一面観音という立派な観音様がお祭りしてあります。その観音様のおからだの中には、もう一体の小さな観音様がはいっているそうです。その観音様は、昔「稲木の長者」が、守り本尊にしていたものだということです。
 この観音様を信心するといろいろご利益があるそうですが、特に「縁むすびの観音様」として大勢のおまいりがありました。旧正月の20日と、盆の8、9日のお祭りにはおびただしい参詣人が遠くからもあって、お願をかけていったそうです。今でも「稲木の観音様のお祭りには、すいかの皮ですべってころぶ。」といわれています。
 もともとはこの観音様は修羅場の守り神ということから、野田のお殿様もこの観音様を大変信仰しておりました。普通、大名というと石高1万石以上の殿様をいいますが、このお殿様は低い石高でしたし、旗本の身分でありましたが、江戸幕府へ出仕すると大名扱いをされていました。
 ある時、江戸において、野田の殿様と仙台の殿様が、吉原の高雄太夫という1人の美しい女の人を同時に自分のものにしたいと考えました。一方、高雄太夫は野田の殿様のいうことばかりきき、仙台の殿様のいうことをききませんでした。仙台の殿様は怒って、高雄太夫を舟見遊山につれだし、舟の上で「つるし切り」によって殺してしまいました。
 これを悲しんだ野田の殿様は、高雄太夫の亡きがらをねんごろにとむらい野田へ帰ってきました。そして、縁のうすかった自分たちの身の上を、縁むすびの願いをこめて、観音堂や山門を立派につくりました。それ以後、だれいうともなくこの観音様を「縁むすびの観音様」というようになったということです。

 新城昔ばなし 365話(新城市教育委員会発行) より引用 


長全寺

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