● さかさ桑 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 長篠の合戦に大敗した武田勝頼は、僅か数名の部下と共に、命からがら寒狭川(豊川)に沿って北上し、やっと只持小松まで敗走してきた。そしてこの部落の北側の岩壁に、矢じりで歌一首を刻みつけ、川岸の竹を曲げて橋にして対岸の布里小松に渡り、この部落の農家の軒先で食事をとった。
 その食事の時、桑の枝を折ってはしにして使い、食事を大急ぎですまし、使った桑のはしを、すぐ前の畑に刺して、再び北へ向って落ちのぴて行った。
 勝頼はその後、布里から栃沢の峠を通り、さらに一色、日向、恩原を通って、田峯へ向ったが、途中で、栃沢峠と日向の峠に、再起を期して埋めて行ったと伝えられる財宝埋蔵地がある。
 その財宝埋蔵伝説の地の中、栃沢峠からは先の年に、古銭がかます2杯ほど発見され、日向の峠には、財宝を埋めた目印の松の大木があり、敗走した武田軍の総大将勝頼の哀れさと、なお再起を期した姿を物語っている。
 このことをこの土地の人達は、
 「朝日さし夕日輝く松の根に 小判三千両埋めてあり」とか、
 「勝頼や武田武士の甲斐もなく 小松が瀬にて名をば流しの」
などの歌をうたって、勝頼敗走の様子を伝えている。
 また勝頼が小松の農家の畑に差して行った桑のはしは、その後さかさに芽を出して生長し、これは勝頼の恨み姿か、それとも再起を示す執念の現れかと、近郷近在の話題となった。

鳳来の伝説(鳳来町文化協会発行)より引用 


小松ヶ瀬のさかさ桑

長篠城駅の逆さ桑

長篠城址史跡保存館の
さかさ桑

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