高僧巡歴の里巣山 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 あの有名な高僧行基菩薩が、ある年全国巡歴の途中、巣山へやって来られた。
そして山の上の広々とした巣山の風景を見て
「これはすばらしい里だ。いい高原だ」
と気に入って、村中を歩いて行くと、彼を見つけた村人が、
「お坊様、よくおいでなさいました。どうか寄ってお休みましょう」
とやさしく言葉をかけると、
「どうもありがとう。せっかくそう言って下さるで、ちょっと休ませていただこうかな」
と言って、その村人の家へ寄った。そして出してくれたお茶を飲みながら、
「この村はすばらしくいい村だな、わしは大変気に入ったで、しばらく逗留したいのだが」
と申された。
「いいですよお坊様、こんなむさ苦しいところでよかったら」
と答えると、
「よろしく頼みます」
と言って、それからしばらく、この家の客人となった。
 そして村のあちらこちらを歩き、村人に合っては世の中のいろいろな話をして聞かせ、また仏像をこつこつと彫り、これを納める寺を建て、高福寺と名付け、村人の心の寄りどころを与えてくれたのだが、次の巡歴のために去って行くことになった。
 村人達は別れを惜しみ、名前を尋ねると
「わしは行基じゃよ」
と言って去って行った。
 それから数十年後のある夕方のことだった。また1人のお坊さんが、この巣山へやって来て、ある農家の門口に立ち
「お頼み申す。わしは旅の憎でござるが、今夜お泊め願いたい」
と頼むと、その農家の人は親切に泊めてあげることにした。そして中に入ったそのお坊さんに
「あなたはどちら様で」
と尋ねると
「わしは空海と申すもので、今、日本国中を巡歴している途中で、この巣山へ来たのだが、この巣山がすばらしい所なので、しばらく滞在したいと思っているのじゃ」
と言った。空海と聞いたこの農家の人はびっくりし、
「どうぞごゆっくりお泊り下さい」
と言って親切にしてあげた。
 空海はそれから、村中をいろいろと歩いて調べ、暇を見ては仏像を刻み、
「わしはここに、真言宗の本山を建てたい」
と村人に話し、野高山栖雲寺を建て、着々と夢の実現を図っておられた。
 しかし空海が考えている本山の構想には、谷の不足に気付き、
「いろいろとお世話をかけましたが、わしの構想にはどうしても谷が1つ足りないので、他に適地を求めなおします」
と言って、別れを憎みつつ旅立ち、後に高野山に金剛峯寺を開いたと言われる。
 こうした高僧の次々の巡歴の結果か、現在、国の重要文化財2体を始め数多くの貴重な仏像が残され、町内きっての仏像の里となって注目されている。

 鳳来の伝説(鳳来町文化協会発行)より引用


重要文化財収蔵庫

屋高山栖雲寺

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