● 鈴木金七郎重正 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 鈴木金七郎は新城市川上の生れで、鉄砲をよくし、水泳に巧みな武士で長篠城の奥平信昌に仕えていました。
 天正3年5月、長篠城が武田勝頼15,000の大軍に包囲されて、落城寸前になりましたときに、城主信昌の命をうけて、鳥居強右衛勝商と共に城を脱出して、岡崎城へ行って徳川家康に面会して援軍をたのみました。徳川家康は、快く、その要請に応じ、徳川勢8,000、織田勢30,000の大軍を率いて、奥平信昌を応援することになりました。
 すぐ引返して、長篠城に報告しようとした鳥居強右衛門は、武田軍に捕われましたが鈴木金七郎は、一応使命を果したのだからといって、川上の実家へかえり、徳川の援軍に加って、5月21日の設楽ケ原決戦に参加して、手柄をたてました。そして、徳川家康の紹介で、極楽寺山に本陣をしいていた織田信長にも拝謁して、大いに面目を施しましたが、戦後は、城へ帰らず一旦川上の家へもどりましたが、その後今の田代に入り土地を開墾して農業を営み、田代の開発につとめたそうです。
 
つくで百話(作手高原文化協会) より引用 


鈴木金七生誕の地

鈴木金七の墓

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