● 首洗い池 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 飯田線三河東郷駅より、信玄坂に向かう途中、右手に「首洗い池」の標柱が立っている。
 この池は、いつも赤く濁っていて、澄んだことがなかった。 それは、設楽原の戦いのとき、首や血刀を洗ったから、その血でいつまでも赤濁りが消えないのだといわれてきた。
 兵士たちは、敵の首を切り落としても血だらけのままではだれの首かわからないため、池で首を洗い、部将に見せ、特に敵のえらい人のものであれば、手柄をはめられ、恩賞にあずかったという。
 別名を「太刀洗い池」ともいう。 これもこの戦いで血に染まった刀や武具などを、この池で洗ったからだという。
 首洗い池の下方100mのところに、「ゆるぎ田の湧き井戸」がある。 これは、設楽原の戦いで、人馬の飲用に使ったといわれている。 信玄台地の人々は簡易水道がひけるまで、日照りが続いて井戸水が涸れると、坂を下ってこの清水を汲んだ。 首洗い池はいつも赤くく濁っているのに、不思議にこの湧き水は澄んでいた。
 首洗い池はもともと竹広の共有地であった。 豊川用水が開通し田が埋め立てられたりして、ため池の必要もなくなった。 そして、周囲の山が開墾されるとともに、大雨のつど、土砂が流れこんで、池は放置されるままになってきた。 そのため、首洗い池は、蒲や雑草が茂るままとなり、昔の面影はなくなった。 それでも湧き水は地下を潜って流れ続けている。 やがて池の近くをバイパスが開通することだろう。

 新城昔ばなし 365話(新城市教育委員会発行) より引用 


首洗い池

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