● 字利城の戦い 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 宇利城の城主熊谷備中守直利という人は、駿河の今川氏輝に従っていました。 一方安城にいた松平清康は、牛久保、野田、西郷と勢力をのばしていましたので、今度は宇利城を手に入れようと、享禄2年という年に、3千人の兵を率いて攻めてきました。
 作手の奥平貞勝や野田の菅沼定則も、松平勢の先鋒として加わりました。城の正面からは清康のおじにあたる内膳正信定や右京進が2千の兵をもって攻め、旗本勢は南の八幡神社の森と、西の冨賀寺の山の上に陣をかまえました。戦のはじめに城の近くの民家に火をつけましたから、折からの風にあおられて火は猛烈に吹き出し、煙は城の方へ吹きつけて、敵陣だけが煙にまかれてしまったかのように見えました。大将清康は大変よろこんで、「勝ち軍になるぞ、それ攻めよ。」と、一斉に太鼓を打ちならしました。ときの声、矢さけびの声、それに山彦が響き渡ってあたりはわれんばかりのものすごさです。
 城の大将熊谷は世に聞こえた剛の者です。大手門の木戸を開いて打って出てきました。右京進の前面です。離れたところからもよく見えますが、まわりは沼田のことで助けようにも近よれません。 退かず奮戦しましたが、とうとう右京進の一隊は討ち死にしてしまいました。 これを見ていた清康は大変おこって「右京進がやられては、松平勢の面目がたたない。みんな死ぬ気で一度に攻めかかれ。」と大声で命令しました。 声に応じて、松平勢は一斉に攻めたてました。熊谷勢は次第に旗色が悪くなって、とうとう、大勢の死者を出して城の中に逃げこんでしまいました。 勢いにのった松平勢は、一気に城を攻めとろうと、へいをのりこえようとします。中から、大石や大木が落としかけられて、松平勢がひるむところめがけて矢がとんできます。これ以上攻めることができなくなりました。
 この時、松平勢の陣から烽火(のろし)があがりました。すると、これにこたえるように、城の中に火の手が上がりはじめました。どういうことなのでしょう。実は、これは、城の中にいた岩瀬庄左衛門という人が、もと松平家に仕えていたことがありましたので、清康と庄左衛門との間に、いざというときには松平の味方になるという約束がしてあったのです。城中にあがった火の手は山風にあおられてみるみる燃えひろがって、すっかり、火の山になってしまいました。こうなってはもうどうすることもできません。城主の熊谷直利は、残った城兵とともに、山伝いに、どこへともなく落ちのびていったということです。

 新城昔ばなし 365話(新城市教育委員会発行) より引用 


宇利城跡

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