● 柿本城址と無血開城 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 戦国時代に、山吉田には鈴木長門守重勝という豪族がいて、柿本の山上(満光寺の西)に城を築いてこの地方を支配していた。
 そのころのこの地方は、今川氏と武田氏と徳川氏の勢力が交互に入乱れて及んでいた。鈴木氏は最初今川義元に服していた。長門守重勝の子重時もまた今川氏に服していた。元亀3年(1571年)、武田信玄が山県三郎兵衛昌景を主将に、秋山晴近や山家三方衆(田峯菅沼氏・長篠菅沼氏・作手奥平氏)ら2万5千の大軍を率いて、信州から奥三河を通って遠州へ攻め入るとき、この柿本城を攻略しようとした。
 この時柿本城は、本丸の壁を作りやっと二の丸の工事に掛かろうとした城普請の最中で、城兵も僅か500人に過ぎない状態であった。この様子では到底武田氏に敵対することは無理だとみた満光寺の朝堂玄賀和尚が、井代城主の菅沼常陸守定仙と力を合せ、城を死守する決戦の構えにあった鈴木重時を口説いて城を開かせた。山吉田はこうして戦場になることが避けられた。
 この無血開城の主人公であった鈴木重時の子重好は、後に水戸の徳川頼房公付家老にまでなった。

鳳来町誌民族資料編(南設楽郡鳳来町発行)より引用 


柿本城趾

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