● 稲木長者 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 今から千年も昔のことです。当時、野田の郷司は諏訪部曲という人でしたが、世の中がたいへん乱れていたので、上の人のいうことを聞かない人が大勢いました。
 こんな時、部曲の家来に依田宗漆という人がおりました。彼は、稲木へやってきて大きな屋敷を構え、自ら、「穂の長者」ととなえました。長者は田畑をたくさん持ち、大勢の人を使ってぜいたくなくらしをしていました。長者の家の田植えの時には、村中の人が長者の家の田植えをしました。
 今も伝えられている唄に、こんなのがあります。

 こなたの屋敷はよい屋敷
 前にゃ泉水 岩が淵
 後ろにゃ烏帽子檜沢
 長者殿 桝取り見れば
 白銀しいて たすきにかけて
 黄金の桝で 米はかる
 朝日さす 夕日かがやく妙法の塚は
 黄金千両 千万両

この唄からもその豪勢さが偲ばれると思います。
「穂の長者」は稲木に住んでいたので、「稲木長者」とも言われました。
新城 文化財案内(新城市教育委員会発行)より引用


稲木長者屋敷跡

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