● 公宣桜(きんのぶざくら) 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 今からおよそ1300年も昔、時の天皇の文武帝が重い病気にかかられました。そこで、ご病気平癒祈願のため、三河国煙巌山の利修仙人のもとに、草鹿砥公宣卿を勅使としてつかわされることになりました。公宣卿が三河の国までこられたとき、ちょうど美しい桜が満開になっていました。卿はそれをごらんになって、桜をたたえる歌を詠んで短冊にしたため、枝に結ばれたということです。その詠歌がどんな歌であったか、わかりませんが、その桜をそれから公宣桜と名付けて、代々大事に育ててきました。
 徳川時代には、新城の藩士の家の庭にありましたが、明治19年になって南設楽郡郡役所の前庭の井戸のわきに移植しました。それから長い間、きれいな花を咲かせていましたが、明治の末になって、惜しくも枯れてしまったそうです。
 太平洋戦争がおわってから、新城の中西時兵衛さんが、このことを調べて自費でもって、公宣桜の石碑を桜淵に建てました。碑のうらには、公宣桜の由来や公宣卿のことなど、くわしく書き記されております。

 新城昔ばなし 365話(新城市教育委員会発行) より引用 


公宣桜

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