● 塩瀬の白鳥神社 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 作手村から流れ出ている巴川は、塩瀬、一色、布里などの部落を流れ下って、只持で豊川(寒狭川)へ合流しているが、この川の流域には、部落ごとに白鳥神社が祭られている。
 この白鳥神社は、今から1,800年余も前の頃、景行天皇の命を受けて、東方の蝦夷を平定するために、この川筋を通って東国へ向って行かれた日本武尊の偉大なお力を敬慕して、命を祭神として祭ったもので、霊験あらたかな神として尊崇されてきた。
 それから長い年月の経ったある年のことであった。新城の菅沼の殿様が、悪い流行病にかかられ、生命も危ぶまれる状態になってしまった。城内は上を下えの大騒ぎになってしまった。
「殿様が重態だそうだ」
「殿様が危ない」
などと、うわさを聞いた町の人達まで心配しだした。
 こうした城の内外の大騒ぎの中で
「霊験あらたかな塩瀬の白鳥様に祈願をしたら」
という声が出てきた。
 この声を耳にした城内の武士が、このことを家老に進言した。すると家老は大変喜び、
「よし、それでは早速祈願を」
と決意し、使者をたてることにした。使者は新城からはるばる塩瀬までやって来て、白鳥神社の神前で、心を込めて真剣に祈願して帰って行った。
 すると間もなく、殿様は快方に向い、やがて全快された。
 殿様を始め家来達や町人達も大喜びした。元気になられた殿様は、
「こんなありがたいことはない。塩瀬の白鳥様へお礼参りに行かなくては」
と、殿様自身牛に乗って、はるばると山坂を越して塩瀬までやってこられた。そして白鳥神社に参拝され、殿様が牛に乗った木像を謹んで奉納された。
 このことがあってから塩瀬の村では、牛を飼って仕事に使ったり乗ったりしてはおそれ多いことといって、村中で牛を飼わないことになった。
 新城の殿様が奉納された木像は、今でも神社内に社宝として大切に保管され、霊験あらたかであった印とされている。

鳳来の伝説(鳳来町文化協会発行)より引用 


塩瀬白鳥神社

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