● 渋谷金王丸の祠 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 鳳来寺小学校の裏の山に渋谷金王丸の祠があり、近くに金王という部落がある。
 今から約800年前、平酒盛と源義朝が争った平治の乱の時、義朝は武運つたなく敗れて東国を指して都落ちした。家来の渋谷金王丸らと共に、源氏再興の悲願を抱きながらようやく知多郡野間の村まで逃れてきて、長田忠致、景致父子の館へ泊めてもらった。ところが平氏の追求を恐れた父子は入浴中の義朝を刺し殺してしまった。
 主君を殺された渋谷金王丸は長田父子を討たんとしたが、当時名刺として広く知られた鳳来寺内へ逃げ込んでしまったので、後を通って鳳来寺のふもとまでやってきた。しかし寺領内にいる長田父子に手を出すことができない。仕方なくふもとに住んで時期を待っていたが、つい機会がなく無念のうちにこの地で一生を終えてしまった。
 金王丸は徳の高い人物で付近の人たちから尊敬され、あだ討ちには深い同情が寄せられていた。そうしたところから彼の死後祠がつくられ、付近の人たちによって祭られてきた。今、両のある部落を金王と呼び彼の子孫という渋谷姓の家がこの付近に12軒ほどある。更に金王丸が愛用していた鉄扇が某家に伝えられている。

 鳳来町誌民族資料編(南設楽郡鳳来町発行) より引用 


渋谷金王丸祠

一つ前へ戻る        HOMEへ戻る