● 片葉のあし 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 長篠の戦の時、武田軍の総大将勝頼が本陣を構えた医王寺山は、長篠城址の北方約1Kmのところにあるが、この山の麓にある医王寺の前の弥陀が池には、珍らしい片葉のあしが生え、長篠合戦にまつわる話を残している。
 天正3年5月、武田勝頼は1万5千の大軍をもって、僅か500の城兵で守る長篠城を猛攻している時、織田・徳川の連合軍3万8千が、長篠城救援のため岡崎を立ち、設楽原に進軍してきた。
 こうした状況の時、武田方は重大な軍議を開いた。
「寒狭川を渡河して設楽原に打って出るか、出ないか」
 これに対し、多くの宿将は
「渡河しての転進は不利である」
と強く主張したが、大将勝頼は
「われに精悍無比の甲州騎馬隊がある。織田・徳川になんぞ恐れん。断固として設楽原に進撃し、一気に雌雄を決せん」
と激しく言い切った。
 その夜あしの精が現われ勝頼に向って、「この度の戦は、神人共にくみしがたいところだから、いさざよく軍を返しなさい」
と戒めた。しかし勝頼は、
「わが武田には進撃あるのみ」
と強い言葉で言い返した。するとあしの精はさらに、
「あなたの考えは無法である。もしもあなたが今日覚めなければ、あなたを見限るであろう」
と告げたが、勝頼は頑として翻意しなかった。
 そしていよいよ設楽原に出陣せんとする時、勝頼は弥陀池のあしに向って、
「今われを助けなければ、お前達を片輪にするぞ。」
と一喝し、刀を抜いてあしを切りかかった。
すると、池が急に波立って荒れだし、あたりが急に暗くなり、空中から声がして、
「お前はわしの戒めも聞かず、無謀な進撃をするとは何たることか。お前もついにこの戦で、片腕と頼む部下を失ってしまうであろう」
高く大きく叫ぶのであった。
 そして決戦は、あしの精の忠告通り、武田軍の大敗となり、宿将も殆んど戦死してしまったが、不思議にもこの池のあしが片葉になってしまっていた。

鳳来の伝説(鳳来町文化協会発行) より引用 


片葉の葦

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