赤痢の神様 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 東海道自然歩道が通っている引地の部落の共同墓地の隅に、加藤様と呼ばれ、いつもお花や供物の絶えないお墓があるが、このお墓の主は、昔、赤痢で亡くなった加藤清という人である。
 昔、鳳来寺と遠州の火伏せの神秋葉大権現とを結ぶ秋葉街道が、にぎやかに繁昌していた頃のこと、この秋葉街道を旅して来た加藤清は、川向うの大野の宿場へ泊った。
 その頃、秋葉街道第一の花町として賑っていた大野の宿場は、泊り客でごったがえしていた。加藤清も食べたり遊んだりの楽しい晩をすごして床についた。しかし夜中になって急に腹が痛みだし、激しい下痢が始まった。
「こりゃあよわった。こりゃあ痛い。ああ痛い。ああ痛い」
と苦しんだが、夜中のことであったので、歯を喰いしぼってがまんするより仕方がなかった。
 やっとのことで夜があけたので、宿の人を呼んで処置を頼んだ。しかし宿の人は、その病状を見てすぐ悪い伝染病と感付き、
「お前さん、こりゃあ赤痢じゃないか。そんな病気の人がここにおっちゃあ困るで、早く出ていっておくれ」
ときつい口調で言うのであった。
「そりゃあ迷惑とは思うが、わしもこの状態では歩けもせんで、まあしばらく休ませてほしい。この町に医者がいたら頼んでほしい」
と懇願した。しかし、
「ぐずぐずしていると他の客に気付かれて大騒ぎになるで、すぐ出ておいき」
とせきたてられ、仕方なく宿の外へ出たが、痛みと下痢と高熱のため思うように歩けず、やっとのことで桐谷の渡り場まできた。ここで一休みし、そしてふらふらしながら川を渡り、引地側までたどり着くことができたが、高熱を冒して川の中を渡ったので、前よりもさらに寒気がひどくなり、とうとう道端へすくみこんでしまった。
 この時たまたま通りかかった引地の人が、この様子を見て不審に思い、
「ほい、ほい、あんたどうしたんだ」
と声を掛けた。すると加藤清は弱々しい声で、
「わしは悪い病気にかかってしまったので、大野の宿を追い出された旅の者ですが、やっとここまで来て動けなくなったのです」
と答えた。これを聞いた引地の人は、
「そりゃあ気の毒だ。わしんとこの離れへ行って休もう」
と言い、加藤清を引き起し体を支えながら連れて行って休ませた。
 このことを聞いた近所の人も寄って来て、看病を手厚くしてあげた。加藤清は、この引地の人達の親切に感謝し、
「ありがとうございます。ありがとうございます」
とお礼を言いながら闘病生活をしていたが、引地の人達の十数日にも及ぶ看病もむなしく臨終を迎えてしまった。その死の間際に、
「引地の皆さん大変お世話になりました。皆さんの親切な看病にあずかりましたが、とうとう死も間近くなってしまいましたので、皆さんにお礼返しもできません。このことを残念に思いますが、私のせめてもの恩返しとして、この村にはこれから、赤痢が絶体に出ないように、私が守り神にならしてもらいます。」
といいつつ他界してしまった。
 引地の人達は、亡くなったこの人を哀れに思い、火葬にして共同墓地の隅へ葬ってやった。それから後、この部落の人達は、この人の墓を加藤様と呼び、自分のお墓へお参りするたびに、必ず加藤様のお墓へもお参りするのであった。
 こうしたことがあってから、この引地には赤痢にかかる人が一人も出なくなり、他の村の人まで、
「どうか赤痢にかかりませんように。どうか赤痢が治りますように」
とお参りに来るようになったといわれている。

鳳来の伝説(鳳来町文化協会発行)より引用


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