● 森の石松 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 清水の次郎長の子分で有名な森の石松は、富岡の堀切の生まれである。八名小学校の西にある堀切池を隔てて、堀切がある。石松の先祖は、山本といい、ここの名主庄屋をつとめる家柄であった。
 父は助治、母は作手大和田から来たかなで、石松はその次男であった。このころは家計も苦しく、火事には3度も会い、母が焼死したので、父とともに遠州森町に出た。
 石松は、小さいときから、森の五郎親分の世話になり、14歳になったころには、力持ちの、また乱暴ものになっていた。このころ、清水の次郎長に見込まれて、清水に移り、大政、小政らと清水一家の有力な子分にまでなった。やくざなかまの喧嘩には、石松はいつも大きな力になった。
 ある時、次郎長のかわりで、金比羅さまに出かけることになった。無事に代参もおわってその帰途、石松は堀切に寄って滞在した。清水に帰る途中、都田村の都鳥吉兵衛宅に立寄った。ここで吉兵衛の好計に会って殺されてしまった。そのとき、一緒に出かけた在所の山本庄治郎が石松の遺体を富岡の洞雲寺に運び、ここに葬った。
 ときに、文久3年6月17日、石松37歳であった。

 新城昔ばなし 365話(新城市教育委員会発行) より引用 


森の石松の墓

森の石松生家跡

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