● 川上の道泉坊 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 川上部落の共同墓地の続きに、部落の人たが道泉坊様と呼んでいる堂がある。
 今からおよそ1350年も昔、天皇の側近として強大な勢力を誇っていた蘇我氏の家来の長谷部という人が、ふとしたことから主君の勘気にふれ、やむなく僧となって諸国を巡歴した。道中、この上吉田に来て留まり、釈迦如来の尊像を自から彫刻し、小白倉に一宇を建てて安置し、後に中平に移して金光寺を建立した。
 この僧は名を道泉坊大僧都といい、金光寺の住職をしながら、一方では部落民の先頭に立って、道を作ったり橋を架けたり、田や畑を開いたりしてこの地の開発に尽した。当時中平部落の東方に広い原があったが、道泉坊は村人たちと力を合せてこの原を開墾し、これを五反田と命名し、山吉田第一の穀倉に育てた。
 道泉坊は、学問も法力もあり、いろいろな病気を治す力を持っていて、210歳までも長生きした。第45代聖武天皇の世に他界したが、村の人たちは道泉坊の徳を慕って川上の地に埋葬しお堂を作って祭った。その後、道泉坊の法力を信じ願を掛ける人が後を絶たず、遠近からの参詣者は、千余年後の今日もなお続いている。

 鳳来町誌民族資料編(南設楽郡鳳来町発行) より引用 


道泉坊牌堂

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