● 村を救った義人 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 昔、山吉田の明双の道は、川沿いにあって大曲りし、大きな岩山にさえぎられ、危険な崖道になった交通の難所で、水の少い時には下の川原を渡るようなところだった。
 それは、ある雨上りの日のことであった。急ぎの用があってここまできた人が、増水している川を見て、川を渡ることをあきらめ、危険だなとは思いながら、この難所の崖道を通ることにした。
 この人は用心しながら渡りかけたのだが、雨の降った後で岩が滑り難儀をしながらやっと中程まできた時、つい足を滑らせて崖から下へ滑り落ちて、大けがをしてしまった。
 これを見た近所の人が、庄屋さんのところへとんで行って、
「庄屋さん、今日もかな淵の崖道で、1人ずりこけて大けがをしてしまいましたよ」
と知らせた。庄屋の鈴木兵左衛門重英はこれを聞いて、
「またずりこけて大けがをしたか」
と暗い顔付きをして言った。そして、
「こりゃあ、なんとか勘考せにゃあまたけが人が出る」
と言いながら、兵左衛門の親しい友人の馬場権兵衛のところへ出かけ、
「おい権兵衛さ、かな淵の崖道でまたけが人が出たて」
と知らせると、
「そりゃあ気の毒なことだったが、なんとかせにゃあおけんのう」
と言いながら、2人であれこれと話し合ったすえ、
「満光寺の和尚様のとこへ行ってみるか」
と、二人して出かけた。
 満光寺の住職さんも、この話を聞いて、
3人はいろいろと話し合った。そして3人の考えは、人工がかかっても、あの岩場を削って通り易く改修する意外に方法はないと言うことであったが、
「それでも、えらい人工だでのう」
と頭を痛めた。
 その時、ちょうど満光寺に1人の客僧がきていたので、この客僧にも自分達の困っている状態と改修の意見を話してみた。客僧はその話を聞いて、しばらく考えてから、
「こりゃあ改修以外に方法はありませんね。私も奉仕しますから、まず3人で始めましょう。そうすれば村の人達も、仕事のあいまを見て手伝ってくれるでしょう」
と強い意志表示をした。
 兵左衛門と権兵衛の2人は、この客僧の心に励まされて決心をし、そして翌日から3人は励まし合って改修工事にとりかかった。この姿は村人達の目に付き、
「おい、庄屋さん達がかな淵の崖道の改修をしておいでるぞ」
「権兵衛さんも一緒だぞ」
と、村人達も関心を持ちだし、やがて1人増え2人増えと、応援に出る人達が増え、それから何日も何日も槌の音が響き続いた。
 こうして苦闘の改修が進められ、庄屋の兵左衛門ら3人と村民の涙ぐましい努力とによって、ついに改修に成功した。
 やっと完成したうれしさに、村民達が喜び合った翌日、あの奇篤な満光寺の客僧が、名を告げず忽然と姿を消してしまった。
 村人達はこのことを開いて大変力を落したが、
「あのお坊様は村を救った義人だ」
と言う声をもとに、改修現場脇に「村義」と刻んだ石碑を立て、客僧を敬いその徳を慕い賛えた。

 鳳来の伝説(鳳来町文化協会発行)より引用 


村義の碑

満光寺

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