● くつわ淵 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 門谷の田代部落を通って追分(新城市)へ流れ出ている川を音為川といっている。この川が追分に出る少し手前に、くつわ淵があり、この付近を分垂といっている。
 この淵は、昔、小笠原長秋という人が、事情あって世をはかなみ、家宝の馬のくつわを抱えたまま投身自殺した淵である。小笠原長秋は三河吉田城主であった小笠原忠知の三男で、かつては2000石を取り八名郡西川に陣屋を構えた程であった。主家の長重が5万石の大名になって武州岩槻へ転封になった時、長重との間にごたごたがあって、ついに知行を失う結果となった。そこでその子長貞と共に憤然として武士を捨て、ひそかにこの分垂へやってきて山を開拓して作物を作りながら暮していた。しかし彼は夢を失い、秘蔵の武具一切をこの淵に投棄て、自から切腹投身し果てた。
 このことがあってから後、この淵にくつわを鳴らす幽霊が出て人々を脅かすという事件がたびたび起って世人を騒がした。村人は役所へ訴え出たが、役所もどうしようもなかった。そこで行者に頼んで占ってもらうと、「この淵には馬のくつわが沈められているので、その精がたたって出るのだから、これを拾い揚げて祭ってやるとよい。」と言った。村人たちは、この淵の水を汲みあげてくつわを探した。やっと1個を探し当てたが、他の1個はどうしても探し出すことができなかった。その拾い当てた1個のくつわを丁重に祭って以来、人々を騒がせたくつわ淵の怪も鎮まった。

鳳来町誌民族資料編(南設楽郡鳳来町発行)より引用


くつわ淵

一つ前へ戻る        HOMEへ戻る