● 豊岡の真牧寺のいわれ 前のページへ戻る   HOMEへ戻る
 

 いつのころだかはっきりしないが、すでに西の郡に殿様がいた時代のことである。
 そのころ、甲斐の武田信玄の孫に当る島田と名乗る武士が伊豆の島田から逃げて来て牧山(今の豊岡町)に住んでいたそうだ。年頃になって西の郡の家中の娘を嫁にもらい、夫婦むつまじく男の子をもうけ、その子が4歳になった。この年までは、この一家は幸福そのもので、何一つの不足はなかったのだが、足もとから馬が立ったように不幸が巻き起った。
 その不幸とは、島田が迎えた女房には西の郡の家中に許嫁の侍がおり、この武士が4年も音信不通だったので殿様の許しを得て島田に嫁入したのだが、その侍がひょっこり帰って来たことから始まったのである。何でも諸国遍歴の旅を終って来たそうであった。
 帰って来た侍は、いいなづけの女が他に嫁いだだと聞いて大変怒り、殿様がなだめてもそれを聞き入れず、夜ひそかに島田の家に忍び込んで不義者成敗と、夫婦を切り殺してどこかへ行ってしまった。この時、4歳だった幸七という子供は、乳母に抱かれて流しの水ガメの中に隠れて命拾いをした。
 やがて、この幸七が大きくなり、山王の古祠のそばに荒れた庵のあるのを自ら改築してお寺とし、真木庵と名付けて父の菩提を弔ったそうである。
 このあたりは一面に槇の木が茂っていたので真木庵と言ったのだが、いつの間にか木の字が牧と変わったといわれたそうである。このお寺は、今日の豊岡町の真牧寺の前進といわれている。
西の郡の民話 ほんとのんほい より引用 


眞牧寺

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