● 相楽の十王堂 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 平安末期(1170年〜80年頃)、禅宗の伝来とともに、十王を供養することが伝わり、全国に冥途へ行く道をさとす思想ができ上って至る所に十王をまつる祠堂が建てられた。
 死者生前の罪業の軽重を裁いて次の生きる所を決める10人の判官を十玉と名付け、秦広、初江、宋帝、五官、閻間、変成、太山、平等、都市、五道転輪の十王である。7日ごとの49日間、次いで百か日、一周忌、3年の10か所の関所をもうけ、死後3年でやっと次の生き場所が定まるのである。おのおのの関所の王がつまり十王で、そこに至るには死出の山、剣の山、火の山、氷の川、三途の川などの難所があって業風(生前の行為)にあおられて、長く続く死後の旅が続くといわれている。
 日蓮上人の十王賛歎抄(建長5年=1357年の作)や存覚上人の浄土見聞集(延文2年=1357年作)などに十王のことが記されているが、ここには死者に対する愛惜の情を目量し巧みにこれを利用して仏教の思想を勧進した施設的説話であって、古今集などに見られる三途の川、死出の山もこの説話に関係が深い。
 市内の十王の祠堂は、東町、三谷光昌寺、清田安楽寺、府相永向寺と相楽にあるが、相楽十王は、中央に南無地蔵菩薩の風化した碑があり寛永9年(1632年)の記年があり、他の像はずっと新しく江戸末期頃の作と思われる。相楽十王堂の近くには養円寺などの寺があり、おおよそ13の院坊があったと思われるあたりにあるが、今は何の手がかりもない。
西の郡の民話 ほんとのんほい より引用 


相楽十王堂

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