岡の一石六地蔵 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 新箱根をくだって、天然記念物 ”清由の大樟 ”を右に眺めて、蒲郡の町を志すと、間もなく竹垣に沿い左に折れて、橋を渡ったところが、岡部落の葬場である。
 そこに、一石六面の地蔵様が祀られている。我々の仲間では”岡の六地蔵”で通っており、市の文化財に指定されている。徳川初期の作と推定されているが、もっと古いかも知れない。とにかく、珍らしいもので、あまりたくさんあるものではない。
 地蔵信仰は、平安後期頃、中国からわたったもので、冥界と娑婆との中間にあって”焰王の苦に遭うものを救う”と言う僧形の菩薩だとされ、元享釈書の中には、長徳4年、玉置神社の神主惟高が地蔵を信仰して死後冥界から帰った話を載せている。
 中国(山陰)地方には、婚礼の夜、婚家の門口に地蔵を立てて”めでたやナめでたやナ”と祝詞を述べる風習がある。
 岡の六地蔵は、本来葬場に在るものかどうか疑わしい。たいていの葬場、高雲寺門前、委空寺、丹野等、六地蔵はたくさんあるが、みな六躰になっている。
 この六躰は、香爐、合掌、宝殊、錫丈、華営、念殊の六つの持物がちがい、その名もちがっているが後世には、これが混乱して、地蔵と言えは、錫杖に宝球の一つになったようだ。
 御津大恩寺が古いだけに、形式に叶っている。これが、ほんとうの六地蔵で(十二躰地蔵)混乱してる方がウソなのだが、ウソの方が世間並になりほんとうの形式のものが珍しがられている。世の中は、おかしなものだ。
 岡の六地載は、葬場に在るものかどうか疑わしいと言ったのは、この地蔵様の前を東にぬけて、石山神社の裏側に、昔勤学院と言う大きな寺があって、開墾すると、土中から五輪や骨が無数に出てくる。
 岡の葬場にある五輪を見ると出土五輪と形式が同じなのが多いので、不審に思って聞いて見るとほとんど勧学院から拾って来たものである。
 そうして見ると、時代はわからないが、この六地蔵も勧学院境内に杷られていたものではないかと疑って見るのが正しいことになる。
 今は、風化して、形式を知ることはできないが、恐らく整ったものであったにちがいなく、池上年氏の説によると、元禄以前、戦国にまでさかのぼるかも知れない。何か土俗信仰と結びついた話にさがし当ったら、更におもしろいお地蔵さまになる。

 かまこおり風土記(蒲郡青年会議所発行) より引用 

六地蔵石像(岡の六地蔵)

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