史書に悲し犬飼湊 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 犬飼湊といっても、ピンと来ない程小さく、あるかないか判らぬような湊だが、国の測量部の地図には出ている。
 が、この犬飼湊は、蒲郡の歴史を語るものにとっては非常に大切な湊だ。
 と言うのは、昔は規模も大きく湾内、及び外地の交通の要衝に当り、熊野の常香が榎本、山本、鈴木、酒井などの一族を引つれて上陸したのも、また、古今著聞集に言う熊野の行快が、上納米を船に積んで船出したのも、また、坂本の観音様の釣鐘を、この土地で鋳たとするなら、それらの材料、鋳物師なども、また、はるかに下ってて連歌師の宗長が大浜から船で来て上陸したのも、岡崎の是の字寺で有名な模外維俊=(天桂院開山)が、竹谷城に松平守家を訪ねるとて、田原から船で来たのも、徳川秀忠が大阪陣にひそかに船で出かけたのも、みんなこの犬飼湊である。
 中でも、徳川家康が天文16年8月、今川の人質に赴く途中、田原の戸田弾正宗光に計られて、潮見坂から尾州の織田信秀のところへ逆送されたとき、船出したのは、多くの史書に見ゆる有名な話である。その時、家康は竹千代と言い6才であったと言う。伴に従った者は、松平与一郎忠正、石川与七郎数正(後に松本城主)平岩七之助親吉、同助ヱ門親長、天野又五郎康景等総勢28人、講談でおなじみの大久保彦左ヱ門も前髪の少年で従ったと言われており、槍を立てかけた、ヤリ掛の松と言うのがあったそうだが、今は跡方もない。

 かまこおり風土記(蒲郡青年会議所発行) より引用 

犬飼湊跡

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