● 御堂山の名のいわれ 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 むかし、行基菩薩が諸国を遍歴していらっしゃる時、この近くの渡津を渡ってさる山道にかかると、向うから白髪の老人がやってきた。
 老人は行基を見て言った。「お前の来るのをわしは長い間待っていた。ここはわしと縁の深い所だからまつってほしい。そうすればきっと栄えるに違いない。」そう言って観音様の姿となって空高く消えて行ってしまったそうな。行基は大変喜んで山を分け入ると、大きな杉の木が光を放っているのを見つけ、「この木はきっと観音様に違いない。」と言って、その近くに庵をむすんでその杉の木を切り十一面観音のお姿に彫んでおまつりをしたという。
 その後、源頼朝が比企の藤九郎に連れられて伊豆に流される途中、この地を通りかかり、霊験あらたかな行基の観音様の話を聞いて、「わしが平家を滅ぼして天下を取ったら、立派な本堂を建てて差し上げます。」と固く心に誓って観音様におまいりをしたそうな。それから頼朝は毎朝観音経を唱えることをおこたらなかったといわれる。
 力をつけた頼朝は、やがて平家を滅ぼし、朝廷から征夷大将軍の宣示を受けての帰りがけ、赤坂まで来た時、むかしを思い起して使いを立て、観音様にお礼を申し上げ、供養田を献じて安達藤九郎をこの地方の守護に任じ、お寺を建てさせて全福寺と名付けた。
 村の人たちは、全福寺建立の後、ここを御堂山と呼び、頼朝が献じた供養田のある所を三月田、五月田、九月田と名付け、字名となって今日でも残っている。
西の郡の民話 ほんとのんほい より引用 


御堂山

全福寺跡

三月田古墳

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