● 稲村が崎 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 ずっとむかし、吉見平九郎というさむらいがいました。 この平九郎は、有名な大将であった新田義貞のけらいでした。 義貞は、足利尊氏という大将と、いくさをしていました。 しかし、運わるく義貞はいくさに負けて、越前の国(いまの福井県)藤島というところで殺されてしまったのです。 もちろん平九郎も、義貞のけらいとしていくさに加わっていました。 大将を失った平九郎は、やっとのことで一族とともに、藤島から西浦の地までにげてきました。
「やれやれ、やっとてきの手からにげることができたのう。」
「ここまでは、もうおってはくるまい。」
「平九郎、わしはもういくさなどしとうない。」
「おじ上、わたしも同じ気持ちです。」
「ねえ、あなた、この地におちつき、百しょうでもしてくらしていきましょう。」
「そうじゃのう。」
 こんな話をしながら、平九郎一族は、舟をこいで、西浦半島のおきあいにさしかかりました。 そのときです。とつぜん、あたりの空が暗くなり、らい雲がどこからともなくわき出てきました。 今までしずかだった海も、あらしのようにあれくるいだしたのです。
 おそろしい風の音とともに、くり返しくり返し、大波が平九郎たちの舟にむかってうちよせてきます。 今にも波は舟をのみこもうとしているようでした。
「平九郎、もうだめじゃ。」
「父上、こわいよう。」
もうどうしようもありません。 子どもたちやひとびとのさけび声の中で、平九郎はじっと目をつむり、しずかにさいごのときを待ちました。 楽しかったこと、苦しかったこと、いろいろな思い出が、次から次へと平九郎の頭の中にうかんできました。
 そのとき、ふと平九郎は鎌倉ぜめのことを思い出したのです。 それは、平九郎がまだずっとわかかったころ、義貞とともに鎌倉をせめたときのことでした。 鎌倉の手前の稲村が崎というところまで来たとき、今までしずかだった海があれだし、大波が浜におしよせて、義貞の軍ぜいは、浜をわたることができませんでした。 そのとき、義貞は自分のたいせつにしていた黄金の太刀を海にささげ、海があれているのをおさえたのです。 そして、ぶじ浜をわたり、鎌倉にせめこむことができました。
 平九郎は、ゆっくり目をあけました。
(よし、わたしも今まで自分の命とも思っていたこの刀を、海にささげよう。)
 平九郎は、自分の刀をおびからはずし、それを両手で頭上にたかだかとさしあげました。 そして、天をじっとにらんだ後、さげびました。
「天の神よ。海の神よ。われらを助けたまえ。」
 そういうなり、海に自分の刀を投げ入れたのです。
 するとどうたことでしょう。 ふしぎなことに、今まで空いちめんにたちこめていた暗い雲はたちまち消えさり、あれほどあれくるっていた大波は、ぴたりとおさまってしまったのです。 今までのあらしは、ゆめのなかのできごとだったかのように、前のしずかな海にもどりました。 平九郎たちは、手をとり合って喜びました。
 そして、ぶじ西浦の地に足をふみ入れることができたのです。 それ以来、平九郎一族はこの地で、ずっと平和にくらしたということです。
 そして、この平九郎が初めて足をふみ入れたところを、稲村が崎と名づけ、後に、海の神をまつるお社をここにたてました。 このお社は、海上安全の社としてうやまわれ、このお社のさきを通る帆舟は、かならず帆を下げて、うやまう気持ちをあらわしたということです。

蒲郡のむかしのはなし(形原北小学校・PTA発行)より引用 


稲村神社

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