● 三谷の弘法さん 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 夕暮れにスックリと立つ弘法さんと腕の中の赤ん坊に涼しい風が吹いている。
「坊、もうすぐ夜だよ、おやすみ」
「まだ眠くないもん! ねえねえどうしてここに温泉があるの?」
「おやおや、坊のどうしてがはじまったな…山の主に聞いた話だが、今から1300年ほど前、全国を行脚していた行基がこの辺りを通り、美しい景色に感激したそうだ。そして、杖を地面に振り下ろすと温泉が湧き出してきたんだよ」
「へー、じゃあどうして弘法さんは子安大師(空海)てよばれているの?」
「うーん話せば長いことだが、行基より約100年後、私が四国61番札所香園寺(こうおんじ)を訪れたとき、門前で1人の女性が難産に苦しんでおった。
私は『幸せになるのです。授かった力をフルに使ってこの世で幸せを味わうのです』と諭し、香を焚いてご祈祷すると、無事に男の子が産まれてね、私にその子を抱かせてくれたのさ。可愛かったねぇ。それで私は安産・子育て・女人成仏の秘宝を香園寺に伝えおいてきたよ。それから子安弘法大師(空海)と呼ばれるようになったのさ」
「じゃあさじゃあさーどうーして僕たちはここに立っているの?」
「名古屋の実業家滝信四郎という人が私たちをここに建立したんだよ」
「滝信四郎・さん?」
「滝家は3代子どもに恵まれず、新四郎氏も養子だったそうだ」
「それで子宝を願って子安大師を建てたの?」
「まあそれもあったと思うけど、国際的な時勢の流れもあった。何より幸せを現実にするというところにうまが合ったのだろう。滝氏は東海道線開通後、蒲郡に別荘を持ち、従業員と一緒に静養に来た。沿線沿いに海と山の見える風光明媚な蒲都が気に入ってたんだねぇ。この街の位置・交通・内海と山の豊かさを調べ、この蒲郡を日本一の観光地にするために常盤館・竹島の橋・蒲郡ホテルなど建築に力を尽くした。次に昭和12年私を建てたのさ。当時は『観光の目玉は豊川稲荷・竹島弁天・三谷の弘法さん』と言われたもんさ…ってあれ?寝ちゃったか。つい話し込んでしまったな・さあゆっくりおやすみ」

広報がまごおり(平成25年8月号)より引用 


三谷の弘法大師

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